
この記事でわかること
- むらさきスカート女の概要
- むらさきスカート女のあらすじ詳細
- 作品のテーマ・考察
- 芥川賞の授賞理由
今村夏子さんの「むらさきのスカートの女」は、第161回芥川賞を受賞した話題作です。
近所で「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性と、彼女を観察する「わたし」の関係性を描いた本作は、日常に潜む狂気や人間の深層心理を巧みに描き出しています。その結果、多くの読者を惹きつけています。
この記事では「むらさきのスカートの女」のあらすじを、段階的に詳しく解説。読み進めるうちに、あなたはこの作品をどう感じるでしょうか。
「むらさきのスカートの女」の概要
作品概要
著者:今村夏子
出版社:朝日新聞出版
掲載誌:小説トリッパー 2019年夏季号
書籍情報:単行本、文庫本
受賞歴:第161回芥川龍之介賞
むらさきのスカートの女|主要登場人物
「私」 / 権藤
主人公である「私」は物語の語り手です。 「むらさきのスカートの女」に執着し、彼女の行動を事細かに観察しています。
「私」自身の性格や特徴は作中で明確には描かれていません。しかし 「むらさきのスカートの女」への執着心や行動から、以下のような人物像が浮かび上がります。
観察力に長けている
周囲の人々や状況を注意深く観察し、詳細に記憶している。
執着心が強い
「むらさきのスカートの女」だけでなく、過去にも特定の人物に執着していたこと窺える。
- 姉
- フィギュアスケート選手
- 幼馴染
- 中学時代の同級生…など
行動力がある
「むらさきのスカートの女」と「友達」になるため、様々な計画を実行に移す。
存在感が薄い
周囲から認識されにくく、まるで透明人間のような存在。
例えば、「むらさきのスカートの女」を尾行中に、彼女が居酒屋に入ったため、主人公も店に入りビールと食事を注文して観察。
彼女が出ていくと代金を支払わずに店を出て行ったにも関わらず、店員はまったく気づかなかった。
この特異な能力は、「むらさきのスカートの女」へのストーキング行為を成功させる一因となっている。
むらさきのスカートの女
「むらさきのスカートの女」は、主人公である「私」が執着する女性です。 いつも紫色のスカートを履いているため、周囲からは「むらさきのスカートの女」と呼ばれています。本名は日野まゆ子。
作中では、「私」の視点を通して描かれているため、彼女の性格や内面は謎に包まれています。 しかし物語が進むにつれて、以下の特徴が明らかになります。
謎めいた雰囲気
「私」の観察を通して、彼女の行動や習慣が少しずつ明らかになるが、その真意は掴みどころがない。
変化
「私」と同じ職場で働くようになってから、周囲の環境や人間関係に影響を受け、徐々に変化していく。 例えば、同僚から「ふっくらと血色が良くなった」「美人になった」と評されるようになる。
たくましさ
「私」の予想を裏切り、困難な状況にも立ち向かう強さを持っている。
その他の人物
作中にはホテルの同僚や上司など、様々な人物が登場します。
これらの登場人物は、主に「私」と「むらさきのスカートの女」の関係性に影響を与えたり、物語の展開に変化をもたらしたりする役割を担っています。
「むらさきのスカートの女」あらすじ

街でいつも見かける「むらさきのスカートの女」に、主人公である「私」は強い興味を抱きます。

彼女は一体どんな人物なのか、「私」は彼女のことをもっと知りたいと思い、「友達」になろうと試みます。
「私」は「むらさきのスカートの女」の行動パターンや生活リズムを把握するため、毎日彼女を尾行し観察を続けます。
そしてある計画を思いつきます。それは「むらさきのスカートの女」を、自分が働くホテルの清掃スタッフとして誘導することです。
綿密な計画と巧妙な仕掛けによって、「むらさきのスカートの女」は「私」と同じ職場で働くことになります。「私」は職場でも彼女を観察し続け、ついに彼女と話す機会を得ます。
しかしふたりの関係は「私」の思惑どおりには進みません。「むらさきのスカートの女」は、周囲の人々との関わりのなかで変化し始め、「私」は次第に彼女の変化に戸惑いを覚えるようになるのです。
※ この先の展開が気になる方は、次のセクションへ進んでください。ただしネタバレが含まれますので、ご注意ください。
「むらさきのスカートの女」詳細なあらすじと結末
「私」は「むらさきのスカートの女」を、同じ職場で働かせることに成功し、彼女を「日野まゆ子」という名前で認識しました。
職場でも観察を続ける「私」は、まゆ子が同僚や上司と交流し、徐々に変化していく様子を目の当たりにするのです。

まゆ子は以前より明るく社交的になり、周囲から好かれる存在へと変わっていきました。
「私」はまゆ子がホテルの面接を受ける際に、手入れの行き届いていない髪が原因で不採用になることを懸念し、こっそりとフローラルの香りのシャンプーの試供品をまゆ子に渡しました。
この行動からも「私」のまゆ子に対する執着心の強さと、目的のためには手段を選ばない狡猾な一面が垣間見えます。
変化の果てに
やがてまゆ子はホテルの所長と不倫関係になり、さらに華やかな雰囲気をまとうようになりました。しかしまゆ子は、ホテルの備品を盗んだ疑いをかけられ、窮地に立たされるのです。
「私」はまゆ子を助けようとしますが、その行動は常軌を逸したものになっていきました。
最終的にまゆ子は姿を消し、「私」はまゆ子のいた場所に収まるように、ホテルの清掃の仕事を続けています。「私」はまゆ子の残像に囚われながらも、まゆ子が去った後の世界で生きていくことになります。
「むらさきのスカートの女」を深く読み解く

作品のテーマ・考察
この作品は複数のテーマを含んでいると考えられます。ひとつは孤独と自己の存在証明です。
「わたし」は「むらさきのスカートの女」を観察し、干渉することで、自身の存在意義を見出そうとしているようにも見えます。

また現代社会における人間関係の希薄さや、承認欲求の問題も浮かび上がってきます。
さらにこの作品は、日常に潜む狂気を描いているともいえるでしょう。「わたし」の行動は一見すると異常ですが、誰しもが心の奥底に抱えているかもしれない闇を象徴しているのかもしれません。
読者は、「わたし」の視点を通して物語を追体験することで、自分自身の内面と向き合うことになるでしょう。
孤独と自己の存在証明
「わたし」は、「むらさきのスカートの女」との関係性のなかに、自身の存在価値を見出そうとしている節があります。
彼女を観察して行動を記録し、さらには彼女の人生に介入することで、「わたし」は自分の存在を、確かめようとしているのではないでしょうか。
しかしその行為は真の人間関係を築くことからは程遠く、むしろ「わたし」の孤独を深めているようにも見えます。
日常に潜む狂気
「むらさきのスカートの女」の周囲で起こる出来事、そして「わたし」自身の行動は、どこか不気味で狂気を帯びています。

一見すると普通の日常のなかに歪みや異常さが潜んでいることが、この作品の大きな特徴です。
読者はこの物語を読むことで、自分の日常にも同じような狂気が潜んでいるのかもしれない、と感じるかもしれません。
承認欲求と人間関係
「わたし」は、「むらさきのスカートの女」に認められたい、彼女の世界に入り込みたいという欲求を持っているように見えます。
しかしその方法は通常のコミュニケーションではなく、一方的な観察や干渉という形をとっています。これは現代社会における、歪んだ承認欲求の表れともいえるでしょう。
叙述トリックの有無とその効果
「むらさきのスカートの女」には、明確な叙述トリックは用いられていないと考えられます。
しかし語り手である「わたし」の視点が非常に限定的であるため、読者は「わたし」の主観を通してしか物語を知ることができません。
このことが読者をミスリードする効果を、生み出しているといえるでしょう。
例えば、「わたし」は「むらさきのスカートの女」を善意から助けようとしているように語っていますが、本当にそうなのでしょうか。
「わたし」の行動は時にストーカー行為とも受け取れます。読者は「わたし」の語りをどこまで信じるべきか、常に疑いながら読み進める必要があります。
作品の評価・レビュー
「むらさきのスカートの女」はその独特な世界観と、読者に考察を促すストーリー展開が高く評価されています。
肯定的な意見としては、「人間の深層心理を鋭く描いている」「読後感が強烈」「何度も読み返したくなる」といった声があり、作品の魅力を語る人も少なくありません。
一方で「内容が怖い」「理解できない」「後味が悪い」など、否定的な意見も見受けられます。

特に「わたし」の行動や物語の結末に関しては、賛否が分かれて議論を呼んでいるようです。
プロの書評家からは、「人間の孤独と狂気を巧みに描いた傑作」「現代社会の闇をえぐり出す問題作」といった高評価が寄せられています。
その一方で、「読者を選ぶ作品」「不快感を覚える人もいるだろう」といった指摘もあり、好みが分かれる作品であることがうかがえます。
芥川賞受賞理由
「むらさきのスカートの女」が芥川賞を受賞した理由として、選考委員は作品の持つ「異様な迫力」や、「現代性」を高く評価しています。
選考委員会の議論では、作品の持つ現代性や人間の内面を深く掘り下げている点が高く評価されました。
選考過程における議論
一部には「読後感が強烈すぎる」という意見もありましたが、最終的には、「現代文学の新たな地平を切り開く作品である」という点で評価が一致しました。
具体的な選考委員の発言としては、例えば、島田雅彦氏が「日常と狂気の境界線が曖昧になるような、現代社会の歪みを象徴している」と評したこと。
また吉田修一氏が「人間の深層心理に迫る、強烈な力を持った作品」と述べたことが伝えられています。
著者|今村夏子について
今村夏子さんは1980年生まれの小説家です。
2010年に「こちらあみ子」(「あたらしい娘」を改題)で太宰治賞を受賞しデビュー。その後「こちらあみ子」で三島由紀夫賞、「星の子」で野間文芸新人賞を受賞するなど、数々の文学賞を受賞しています。

今村さんの作品の特徴は、独特のユーモアと人間の心の奥底にある闇を描き出す、鋭い観察眼です。
日常の中に潜む狂気や人間関係の歪みを、独自の視点で表現しています。
「むらさきのスカートの女」に関するQ&A

Q むらさきのスカートの女の最後はどうなった?
A 物語の最後で、「むらさきのスカートの女」は姿を消してしまいます。
「わたし」は彼女の幻影を見るようになりますが、彼女がどこへ行ったのか、生きているのか死んでいるのかは、明確には描かれていません。
読者の想像に委ねられています。
Q 犯人は誰か?
A この作品には明確な「犯人」は登場しません。しかしこの作品に犯罪者は登場しないものの、「わたし」の行動は「むらさきのスカートの女」を精神的に追い詰める、ある種の加害行為ともいえるでしょう。
Q 「わたし」は何がしたかった?
A 「わたし」の行動原理は非常に複雑です。彼女は「むらさきのスカートの女」を助けたいという気持ちと、彼女を支配したいという気持ちの間で揺れ動いているように見えます。

もしかすると「わたし」自身も、自分の行動の真意を理解していなかったのかもしれません。
Q 結局、むらさきのスカートの女はどこに行った?
A 前述のとおり、物語の最後で「むらさきのスカートの女」は姿を消します。どこに行ったのかは読者の解釈に委ねられています。
Q この作品は何が言いたい?
A この作品はひとつの明確なメッセージを伝えるというよりも、読者に様々な問いを投げかける作品です。
孤独、自己と他者、承認欲求、狂気など、様々なテーマについて、深く考えさせられます。
「むらさきのスカートの女」は何を語りかけるのか

「むらさきのスカートの女」は、日常に潜む狂気や人間の深層心理を描いた問題作です。
読み終わった後、あなたはこの世界をどのように感じるでしょうか。「わたし」の行動は、あなたにとって、どのように映るでしょうか。
この作品は私たちに、多くの問いを投げかけてきます。ぜひ、あなた自身の目でこの物語の真実を確かめてみてください。
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