
この記事でわかること
✓ 『雪国』の物語が始まる導入部から衝撃的な結末に至るまでの具体的な出来事の流れ
✓ 主人公の島村、芸者の駒子、そして少女葉子といった主要な登場人物たちの設定と彼らの間の複雑な関係性
✓ 物語の舞台となった雪深い温泉地の実際の場所や、作品の背景にある作者の執筆経緯
✓ 作品全体を貫くテーマや、登場人物の行動に対する様々な解釈、そして文学的な魅力のポイント
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
誰もが一度は耳にしたことがある、川端康成の名作『雪国』のあまりにも有名な一節です。

「どんな物語なのだろう?」「あらすじを知りたい」そう思っている方も多いのではないでしょうか。
『雪国』は、ただ美しいだけではありません。
雪深い温泉地を舞台に繰り広げられる、主人公・島村と芸者・駒子、そして謎めいた少女・葉子の複雑な人間模様。
そこには読む人の心を捉えて離さない、儚い愛のきらめき、人間の孤独、そして「徒労」の美学が描かれています。
ここでは、『雪国』の詳しいあらすじはもちろん、魅力的な登場人物たちの関係性や物語の舞台となった場所の背景についても詳しく紹介。
さらに、「島村はクズ?」「葉子の『気が違う』とはどういう意味?」「結末はどうなるの?」といった読者が抱きがちな疑問への考察まで、徹底的に解説していきます。
この記事を読めば、『雪国』の世界がぐっと身近になり、作品への理解が深まるはずです。ぜひ、最後までご覧ください。
「雪国」あらすじ|物語の全貌と背景

まずは次のことを取り上げて、『雪国』という作品の基本的な情報と、物語の骨格となる部分からお伝えします。
- 川端康成が描いた不朽の名作「雪国」とは?
- 冒頭「トンネルを抜けると」その場所はどこか
- 「雪国」の主な登場人物とその関係性
- あらすじ|物語の導入と主要な出来事
- 詳細なあらすじ|衝撃の結末までを解説
川端康成が描いた不朽の名作「雪国」とは?
『雪国』は、日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した川端康成の代表的な長編小説です。この作品は、美しい日本語の表現と独特の叙情性により、国内外で非常に高く評価されています。
日本近代文学を語る上で欠かせない、名作のひとつとして位置づけられるでしょう。
雪国の舞台と人間模様
物語の主な舞台は雪深い温泉地です。そこでは妻子をもつ主人公の島村と、ひたむきに生きる芸者の駒子が中心となります。
そして純粋でどこか謎めいた少女である葉子との間で、複雑な人間模様や恋愛感情が展開していくのです。

作品全体を通じて、登場人物たちの心の揺らぎや孤独感が巧みに描かれています。
また儚い愛の美しさや徒労感が、研ぎ澄まされた筆致で表現されているのが大きな特徴といえるでしょう。
執筆背景と文学的評価
『雪国』は、1935年から十数年という長い期間をかけて執筆されました。各章が雑誌に少しずつ発表される形で書き進められたのです。
川端康成自身もこの作品に深い愛着をもち、何度も手を入れて完成させました。
ノーベル文学賞の受賞理由のひとつにも、この『雪国』などが人間の心の機微を捉えた傑作として挙げられています。
冒頭「トンネルを抜けると」その場所はどこか

川端康成の小説『雪国』の冒頭に記された「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という一文は、日本文学の中でも特に心に残るフレーズとして知られています。
この印象的な書き出しで私たちを誘う「雪国」の主な舞台は、現在の新潟県南魚沼郡湯沢町にある越後湯沢温泉であるとされています。
作者の滞在と執筆の地
作者である川端康成は、1934年(昭和9年)から数年にわたり、実際にこの越後湯沢温泉に佇む高半旅館(現在の「雪国の宿 高半」)に逗留しました。
その旅館の「かすみの間」という部屋で、滞在中に見聞きしたことや雪国特有の風物を丹念に取材したのです。そして、それらを織り交ぜながら『雪国』を執筆しました。

川端は当初、作品の舞台が特定されることを必ずしも望んでいなかったようです。
しかし後年、岩波文庫版のあとがきにおいて「雪国の場所は越後の湯沢温泉である」とはっきりと記しています。
雪国への入口|清水トンネル
小説に出てくる「国境の長いトンネル」とは、群馬県と新潟県の県境を貫いて両県を結ぶ、国鉄(現在のJR)上越線の清水トンネルを指します。
清水トンネルは1931年(昭和6年)に開通し、当時は日本最長の鉄道トンネルでした。険しい山越えのためにループ線という特殊な構造を持っていることも特徴のひとつです。
ただし現在、川端が小説執筆当時に汽車で通過したであろう下り線の旧清水トンネルは上り線専用となっています。
新しい下り線用の新清水トンネルが使われているため、小説とまったく同じ体験をすることは難しくなりました。
信号所と現在の湯沢町
また汽車が、トンネルを抜けて最初に停車する「信号所」は、現在のJR土樽駅(当時は土樽信号場)と解釈されます。
かつてこの土樽周辺は、清水トンネルの難工事に従事する多くの作業員とその家族が暮らす「鉄道村」として賑わいを見せました。しかし現在はその面影も薄れています。
越後湯沢の町には、今も『雪国』の世界を伝える文学碑や、作品に関する資料を展示する湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」が存在します。
さらには「駒子の湯」といった共同浴場などがあり、作品を愛する多くの文学ファンがその情景を求めて訪れています。
「雪国」の主な登場人物とその関係性

川端康成の『雪国』は、数人の登場人物が織りなす繊細な人間模様が魅力の作品です。
物語を理解する上で中心となるのは、主人公の島村、芸者の駒子、そしてどこか謎めいた雰囲気を持つ葉子の3人でしょう。
主人公・島村
まず島村は、東京に妻子がありながら、親の遺産で自由気ままな生活を送る文筆家です。彼は雪深い温泉地を度々訪れます。
そして、そこで出会う駒子や葉子に心を惹かれますが、彼女たちとの関係に深く踏み込むことはありません。
どこか傍観者のような立場でいることが多い人物です。
芸者・駒子
次に駒子は、この温泉町で働く芸者として登場します。
かつて許婚であった行男の療養費を稼ぐために芸者になったという過去を持ち、島村に対しては一途で情熱的な愛情を抱いています。

日々の生活のなかでさまざまな感情を抱えながらも、ひたむきに生きる女性として描かれるのです。
謎めいた少女・葉子
そして葉子は駒子の知り合いで、美しい声をもつ若い女性です。
駒子の許婚と噂された行男を献身的に看病しています。その清らかでどこか影のある姿は島村をも魅了します。
駒子とは、行男をめぐる複雑な感情で結びついていることがうかがえるでしょう。
物語を彩る脇役と関係性
このほか、物語には駒子の幼馴染であり許婚とされた行男も登場します。

行男の病と死は、駒子や葉子の生き方に大きな影響を与えることになります。
島村と駒子の恋愛を軸としながら、島村の葉子への関心、そして駒子と葉子の間の目に見えない緊張感をはらんだ関係が、物語に深みを与えています。
物語の導入と主要な出来事

『雪国』の物語は主人公である島村が、雪に閉ざされた温泉町を再び訪れるところから本格的に始まります。彼は以前この地で出会った芸者の駒子との再会を目的としていました。
雪国への旅と出会い
島村が汽車で雪国へ向かう12月初めの場面では、車中で病人の若い男・行男に甲斐甲斐しく付き添う娘・葉子の姿に目を留めます。
そして島村が、この温泉町を初めて訪れたのは前年の新緑の5月のことでした。

当時はまだ芸者見習いであった19歳の駒子と出会い、一夜を共にしたことが回想として語られます。
再会と変化する関係
現在の時間軸に戻り、旅館に到着した島村は駒子を呼び、芸者となった彼女と再会を果たします。
島村は駒子の住む踊りの師匠の家を訪ね、そこで汽車で一緒だった葉子と行男に再び出会うのです。

行男は師匠の息子で、駒子の許婚ではないかと噂されていました。しかし駒子本人はそれを否定します。
島村は駒子のひたむきな生き方や、彼女が奏でる三味線の音に深く心を動かされるのでした。
行男の死と別れ
その後、島村が東京へ帰る日、葉子が行男の容態が急変したことを知らせにきます。しかし駒子は行男の死に目に会うことを拒み、島村を駅まで見送りました。やがて行男は亡くなります。
再訪と新たな感情
島村が次にこの雪国を訪れたのは翌々年の秋のことでした。
駒子は、島村がくる約束だった昨年訪れなかったことを静かになじります。また踊りの師匠も亡くなったことを告げました。彼女は毎日のように島村の部屋に通い、ふたりの時間は続きます。
しかしある晩、駒子の代わりに葉子が島村の部屋を訪れ、初めて葉子と言葉を交わした島村は彼女のもつ独特の魅力に気づくのでした。
『雪国』衝撃の結末までを解説|ネタバレ注意

※ これより先は『雪国』の、結末に触れています。まだ作品を読んでいない方や、ネタバレを避けたい方は、ここから先の閲覧にご注意ください。
島村の逗留と駒子の一途な想い
前述のとおり、島村は駒子や葉子との関係を深めながら雪国での日々を過ごします。駒子は島村の部屋へ甲斐甲斐しく通い、彼への愛情を隠そうとはしません。
しかし島村は、駒子のひたむきな想いを受け止めつつも、心のどこかで距離を置いているような態度を見せることがあります。
島村と駒子のすれ違う想い
例えば、島村がふと駒子に「いい女だ」と告げた際、駒子はその言葉の裏を読み取ろうとします。そして激しく泣き崩れてしまう場面は、ふたりの心のすれ違いを象徴しているといえるでしょう。
葉子の苦悩と願い
一方で、島村は葉子にも関心を寄せ続けます。
葉子は行男の死後も彼を想い続け、島村に東京へ連れて行ってほしいと頼んだり、「駒ちゃんをよくしてあげて下さい」と切ない言葉を残したりしました。
また葉子が、「駒ちゃんは私が気ちがいになると言うんです」と涙ながらに語る場面もあり、彼女の不安定な心情がうかがえます。
運命の夜|繭蔵の火事
島村がその冬も温泉場に逗留していたある夜、物語は衝撃的な結末を迎えることになります。
星々が美しく輝く晩に、村の繭蔵(映画の上映会場にも使われていた建物)で火事が起こるのです。
島村と駒子は急いで火事現場へ駆けつけます。
衝撃のクライマックスと残された謎
人々が見守るなか、燃え盛る繭蔵の二階からひとりの女性がまるで人形のように落下しました。その女性は葉子でした。
地上に落ちた葉子は、かすかに痙攣したものの、やがて動かなくなります。駒子は狂ったように葉子に駆け寄り、その体を抱きしめ、「この子、気がちがうわ。気がちがうわ。」と叫び続けました。
この壮絶な光景を目の当たりにした島村は、天の河が自分のなかに流れ落ちてくるような強烈な感覚に包まれ、物語は幕を閉じます。
葉子の生死については、作中では明確にされていません。
「雪国」あらすじ|読者の声と作品の深層

『雪国』の物語の流れを掴んだところで、ここでは次の内容を取り上げて、この作品がもつ深層に迫ってみましょう。
- なぜ読者から「島村はクズ」と言われるのか?
- 葉子の「気が違う」の意味とラストシーンを考察
- 結末を深掘り考察|葉子の運命と島村の心境
- 「雪国」の魅力とは?心揺さぶるポイント
- なぜ「雪国」は難しい・意味がわからないのか
なぜ読者から「島村はクズ」と言われるのか?
川端康成の『雪国』を読んだ人のなかには、主人公の島村に対して「クズだ」という厳しい評価を抱く方も少なくありません。
このような感想が生まれる背景には、島村の言動や生き方に理由があると考えられます。
現代の倫理観や価値観から見て、共感しにくい部分が影響しているのでしょう。
自己中心的な恋愛観
もっとも大きな要因のひとつは、島村が東京に妻子をもちながら、雪国の温泉地で芸者の駒子と深い関係になる点です。

島村は駒子の純粋な愛情を受けながらも、彼女の人生に対して真摯な責任を負おうとはしません。
駒子の一途な想いや努力を「徒労」という言葉で、片付けてしまうような、どこか冷めた視点も持っているのです。
傍観者的な態度と無責任さ
また駒子という存在がありながら、ミステリアスな葉子にも関心を寄せるなど、彼の態度は誠実さに欠けると感じる読者もいます。
親の遺産で生活し、明確な職業を持たずに文筆活動を趣味のように行っている彼の立場は、現実感が薄い印象を与えます。

他者の痛みに対する共感が、希薄であると受け取られることもあるでしょう。
駒子や葉子が過酷な運命のなかで必死に生きようとする姿を、島村は美しい風景や芸術作品を鑑賞するかのように眺めている節があります。
どこか傍観者的であり、彼女たちの苦悩や喜びに対して、心の底から寄り添っているとは言い難い場面が散見されます。そのため、自己中心的で無責任な人物として映ってしまうのかもしれません。
ただし文学作品の登場人物として、作者がある特定のテーマや美意識を描き出すために、あえてこのような複雑な人間像を設定したという側面も考慮する必要がありそうです。
葉子の「気が違う」の意味とラストシーンを考察

物語のクライマックス、燃え盛る繭蔵から葉子が転落する衝撃的な場面があります。
そこで駒子は駆け寄り葉子を抱きとめ、「この子、気がちがうわ。気がちがうわ。」と繰り返し叫びました。この駒子の言葉は、単一の意味に限定されず、複数の解釈が成り立つ奥深さをもっています。
葉子の精神状態への示唆
ひとつには火事という、極限的な恐怖と落下による身体的ショックによって、葉子の精神が常軌を逸してしまった状態を直接的に表現していると考えられます。
葉子は物語を通して、亡き行男への一途な想いを胸に秘めていました。
ときに島村に「駒ちゃんは私が気ちがいになると言うんです」と涙ながらに訴えるなど、もともと非常に純粋で繊細、そして精神的に不安定な側面が描かれていたのです。
この極限状況が、彼女の心の均衡を完全に崩してしまったとしても不思議ではありません。
葉子が落下する際の「人形じみた無抵抗さ」や「生も死も休止したような姿」という描写も、彼女の意識が現実から遊離してしまった状態を暗示しているかのようです。
駒子の内面を映す言葉
しかしこの「気が違う」という言葉は、駒子自身の内面や、葉子に対する駒子の複雑な認識を強く反映しているとも解釈できます。
駒子は葉子のもつあまりにも純粋で一途な生き方や、どこか現実離れした危うさを間近で感じ取っていたのかもしれません。そして、それを以前から「気が違う」と捉えていた可能性があります。
その予感が目の前で悲劇的な形で現実となったことへの戦慄と絶望感が、この叫びにつながったのではないでしょうか。
言葉の重みと象徴性
さらに踏み込んで考えると、駒子が葉子のなかに自分自身の姿や運命、あるいは自分の「負の部分」を重ね合わせて見ていた可能性も考えられます。
島村が、葉子を抱く駒子の姿を「自分の犠牲か刑罰かを抱いているように見えた」と描写している点は示唆的です。

葉子の悲劇は、駒子自身の心の奥底に潜む痛みや諦観を激しく揺さぶったことでしょう。
まるで自分自身に向けて叫んでいるかのような切迫感がこの言葉には込められているのかもしれません。
ラストシーンの緊迫した状況のなかで発せられたこの言葉は、葉子の状態を描写するだけではありません。
駒子の魂の叫びであり、雪国で生きる女性たちの過酷な運命をも象徴しているといえるでしょう。
結末を深掘り考察|葉子の運命と島村の心境

『雪国』の結末は火事場で葉子が転落し、駒子が叫ぶなかで幕を閉じます。
主人公である島村の心に「天の河がサーッと音を立てて島村のなかへ流れ落ちるようであった」という印象的な感覚が描かれ、物語は終わるのです。
この終わり方は、読者に多くの解釈の余地を残すものといえるでしょう。
読者に委ねられる葉子の運命
まず葉子の運命については、作中で明確には語られていません。

葉子が助かったのか、それとも命を落としたのかは読者の想像に委ねられています。
いずれにしても、この出来事が彼女の人生にとって決定的な悲劇であることは間違いありません。葉子の持つ純粋さや儚さが一層際立つ結末となっています。
島村の心に映る天の川の象徴性
一方、島村の心境を表す「天の河が流れ落ちるようであった」という感覚は、非常に象徴的です。
これは目の前で繰り広げられる人間の愛憎や生死を超越した、何か圧倒的な美しさや宇宙的な無常観を島村が感じた瞬間と解釈できます。
あるいは駒子や葉子の激しい生き様、そして雪国で体験した一連の出来事に対する、言葉にならない感動や虚無感かもしれません。
一種の諦観のようなものが、入り混じった感情の表れとも考えられます。
物語のテーマ性とオープンエンディング
この結末は島村が駒子や葉子の人生に深く関わることなく、どこまでも傍観者的な立場に留まり続けることを示唆しているようにも思えます。
島村にとって雪国の出来事は、美しくも哀しいひとつの「徒労」の光景として記憶され、日常へと帰っていくのかもしれません。
このように、はっきりとした結末は描かれていません。そのことが、読者それぞれが物語の余韻の中で登場人物たちの行く末や作品のテーマについて深く考えるきっかけを与えているといえるでしょう。
「雪国」の魅力とは?心揺さぶるポイント

川端康成の『雪国』が多くの読者を惹きつけ、長く愛され続ける魅力は、いくつかの心揺さぶるポイントに集約されるでしょう。
単に美しい恋愛物語というだけでなく、人間の心の奥深くに触れるような要素が詰まっています。
美しい日本語と情景描写の世界
まず挙げられるのは、川端康成特有の研ぎ澄まされた美しい日本語と、鮮やかな情景描写です。

雪国の白く清浄な風景、駒子の肌や唇といった細部の官能的な描写が見事です。
汽車のなかから見る窓ガラスに映る夕景色と葉子の顔が二重写しになる幻想的なシーンなど、まるで詩を読んでいるかのような感覚を覚えるでしょう。
これらの描写は、物語の世界に読者を深く引き込みます。
登場人物の繊細な心理描写
次に、登場人物たちの複雑で繊細な心理描写が挙げられます。
駒子の一途でありながらもどこか諦観を秘めた愛情、島村の虚無感を抱えながらも美に惹かれる心、そして葉子の純粋さと危うさ。
登場人物たちの言葉や行動の端々から感じられる心の機微は、読者に深い共感や考察を促すのです。

報われることの少ない愛に生きる駒子の姿は、「徒労」という言葉と共に、美しくも哀しい印象を特に残します。
「徒労」の美学と深い余韻
そして物語全体を包む独特の余韻も、大きな魅力といえるでしょう。
はっきりとした結末が描かれず、象徴的なシーンで終わるため、読後も長く心に残り、さまざまな解釈を巡らせることができます。
このような点が、時代を超えて多くの人々の心を捉え、日本文学の代表作として語り継がれる理由なのでしょう。
「雪国」は難しい・意味がわからないという声

『雪国』を読んだ際に、「物語が難しい」あるいは「登場人物の気持ちや行動の意味がよくわからない」と感じる方がいるのは自然なことです。
そのように感じられるのには、いくつかの理由が考えられます。
省略と暗示が生む解釈の多様性
ひとつ目の理由として、この作品では出来事や感情について直接的な説明が少なく、多くの部分が読者の解釈に委ねられている点が挙げられます。
川端康成の文学の特徴でもあるのですが、言葉を尽くして説明するのではなく、あえて省略したり、暗示的な表現を用いたりします。これにより、物語に深みや余韻を生み出しているのです。
そのため読者は行間を読み、登場人物の心情や背景を自ら想像していく必要があり、それが難しさに繋がることがあります。
物語構造と詩的表現
ふたつ目に、明確な起承転結のあるストーリー展開というよりは、主人公・島村の雪国への訪問が中心です。
そこで出会う人々との交流が、美しい情景描写と共に断片的に描かれていく構成になっています。

大きな事件が次々と起こるわけではないため、物語の全体像を掴みにくいと感じる場合があるかもしれません。
登場人物の行動原理の複雑さ
さらに登場人物たちの行動や心理が、現代の感覚からすると少し理解しづらい部分もあるでしょう。
特に主人公の島村は、妻子がありながら他の女性に惹かれます。そしてどこか冷めたような態度で接する姿は、共感しにくいと感じる人もいます。
また駒子や葉子の純粋すぎるほどの感情の動きも、現代的な視点からは捉えどころがないように見えるかもしれません。
これらの要素が組み合わさることで、『雪国』は一読しただけでは全てを理解するのが難しい、奥深い作品となっています。
しかしだからこそ何度も読み返すことで新たな発見があり、長く味わうことのできる文学作品であるともいえるでしょう。
「雪国」に関するよくある質問

ここでは『雪国』に関してよく寄せられる質問と、それらに対する答えをまとめました。これらの質問の多くは、これまでに詳しく解説していますが、改めてQ&A形式で簡潔に紹介します。
Q. 「雪国」のモデルとなった場所は?
A. はい、小説『雪国』の主な舞台として描かれているのは、新潟県の越後湯沢温泉です。
作者の川端康成は、実際にこの地にある高半旅館(現在の「雪国の宿 高半」)に滞在し、作品を執筆しました。
Q. 「雪国」は実話に基づいているの?
A. いいえ、完全に実話というわけではありません。川端康成が越後湯沢で得た体験や出会った人々が作品の基になっています。しかし登場人物の設定や物語の展開は創作です。
駒子のモデルとされる芸者の女性はいたといわれていますが、主人公の島村は作者自身ではないと川端康成は語っています。
Q. 川端康成はなぜ「雪国」を書いたの?
A. 川端康成が『雪国』を書いた明確な理由をひとつに絞ることは難しいです。
しかし雪国の厳しい自然のなかで生きる、人々の純粋さや哀しさ、人間の愛や孤独といった普遍的なテーマに心を動かされたのでしょう。それを美しい文学作品として表現しようとしたと考えられます。

作品は10年以上にわたり書き継がれ、作者の美意識が深く反映されたものとなりました。
Q. 島村はなぜ「クズ」と言われることがある?
A. 前述のとおり、主人公の島村が一部の読者から「クズ」と評されるのは、彼の行動や態度に理由があります。
東京に妻子がいながら雪国で駒子と深い関係になります。
駒子の真剣な愛情に対して、どこか曖昧で無責任な態度を取り続ける点や、他者の人生を傍観者のように眺めている節があるため、そのように感じられることがあるようです。
Q. 葉子の「気が違う」の意味とは?
A. 物語の最後で駒子が葉子を抱きしめて叫ぶ「この子、気がちがうわ」という言葉には、複数の解釈ができます。
火事と転落という衝撃的な出来事によって葉子が正気を失ってしまった状態を指すとも考えられます。
また葉子の普段からの純粋すぎる生き方や、危うさを駒子が表現したともいえるでしょう。

駒子自身の深い動揺や、悲しみが込められた言葉と捉えることもできます。
Q. ラストの「天の川」にはどんな意味がある?
A. 葉子が転落する壮絶な場面で、島村が「天の川がサーッと音を立てて島村なか中へ流れ落ちるようであった」と感じる描写は、非常に印象的です。
この「天の川」は、人間の愛憎や生死を超えた圧倒的な美しさ、宇宙的な無常観を象徴していると解釈されます。
あるいは島村自身の虚無感や、雪国の出来事全体への複雑な感慨など、多様な意味を象徴していると受け取られています。
Q. 葉子は最後に死んでしまったのですか?
A. 小説『雪国』の結末では、葉子が繭蔵から転落した後、彼女が亡くなったのかどうかは、はっきりと書かれていません。そのため、葉子の生死は読者の解釈に委ねられる形となっています。
Q. 「雪国」の映画やドラマはある?
\番組紹介/
— NHKにいがた (@nhk_niigata) April 14, 2022
ドラマ「雪国」
【BSP・BS4K】4/16(土)午後9:00~
日本人初のノーベル文学賞・ #川端康成 の名作をドラマ化⛄✨
美しい雪景色の中でつづられる文筆家( #高橋一生 )と芸者( #奈緒 )の切ない恋。 https://t.co/4EL4IImkEe#NHK #新潟 #NHK新潟#雪国 #越後湯沢 pic.twitter.com/bWPRt4Sgsz
A. はい、『雪国』はこれまでに何度も映画化、そしてテレビドラマ化されています。
古いものでは1957年(東宝、池部良・岸惠子主演)や1965年(松竹、岩下志麻・木村功主演)の映画が知られています。

近年では2022年にNHKで高橋一生さん、奈緒さん出演によるテレビドラマが制作・放送されました。
表『雪国』の主要な映像化作品
年 | メディア | 監督 | 主要キャスト(島村、駒子、葉子) | 製作会社/放送局 | 特筆すべき点 / 関連資料 |
1957年 | 映画 | 豊田四郎 | 池部良、岸恵子、八千草薫 | 東宝 | 川端康成、E.G.サイデンステッカーが撮影に立ち会い |
1965年 | 映画 | 大庭秀雄 | 木村功、岩下志麻、加賀まりこ | 松竹 | 雪国の風景の美しいカメラワーク、岩下志麻のコメント |
2022年 | テレビドラマ | - | 高橋一生、奈緒、森田望智 | NHK BSプレミアム | 会津での豪雪ロケ、原作の行間を探る意図 |
「雪国」あらすじと作品理解のための要点整理

川端康成『雪国』のあらすじ、登場人物、背景、そして考察について解説しました。
美しい日本語で描かれる情景や繊細な心理描写、深い余韻を残す結末は、本作が長く愛される理由でしょう。
この記事が、不朽の名作『雪国』への理解を深める一助となれば幸いです。それでは最後にポイントを箇条書きでまとめます。
- 『雪国』は川端康成の代表作で、ノーベル文学賞受賞にも影響を与えた作品である
- 雪深い温泉地を舞台に、主人公島村と芸者駒子、少女葉子の関係性を描く
- 作品は1935年から十数年かけて雑誌に断続的に発表され完成した
- 主な舞台は新潟県越後湯沢温泉であり、清水トンネルが雪国への入口として象徴的だ
- 妻子ある文筆家島村と、彼に惹かれる駒子、謎めいた葉子が中心人物である
- 物語は島村の雪国への再訪と駒子との再会から本格的に動き出す
- 駒子の島村に対する一途な愛情と、それに対する島村の曖昧な態度が物語の軸をなす
- クライマックスは繭蔵の火事と、そこからの葉子の衝撃的な転落である
- 作中では「徒労」という言葉が繰り返し登場し、重要なテーマのひとつとなっている
- 島村の自己中心的とも取れる言動から、一部読者には「クズ」と評されることがある
- 葉子の「気が違う」という叫びや、ラストの天の川の描写は多様な解釈を生む
- 美しい日本語表現、繊細な心理描写、そして深い余韻が本作の大きな魅力だ
- 直接的な説明を避け、暗示や省略を多用する点が作品の難解さの一因である
- 『雪国』は川端康成の代表作で、ノーベル文学賞受賞にも影響を与えた作品である
最後まで見ていただきありがとうございました。